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私がシーザー・ミランに凝っている訳

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私がシーザー・ミランに凝っている訳     by little-K

前の投稿 : 次の投稿 | 親投稿 : 子投稿.1 | 投稿日時 2010-8-5 12:22
このところ、私のマイブームが「シーザー・ミラン」であることに不思議に思う方もいらっしゃると思います。

でも、不思議ではないのです。


このところ、テクニックや原理を教えてもどーして生徒さんたちは犬とうまくやれないのかなぁ?と思っていました。


答えは、友人の訓練士の「犬と感情のやり取りしないと」でした。
学習の中で感情は持ってはいけないと言われていて、それを守りとおした結果、犬の感情も自分の感情もまったく意識できない飼い主さんたちを作り出してしまっていました。


誰だって嫌なヤツと一緒に何したいなんて思わないし、やったとしても効果的な訳ない。

まず、やらないといけないことは犬の保護者になることなんだと思ったのです。


巷では、やたら「犬と平等に」などと言っていますが、この世の中で私たちの周りに平等なんてあるのかと思います。

私は、まわりの人との間に平等だなんて考えもしません。

平等に扱われているとも思いません。


それどころか、理不尽だなぁと思うことがよくあります。

それを犬に求めるって?と考えると、自分の理想を犬に求めているのではないかと思うのです。


理想を持つことは悪くないと思いますが、今を真剣に生きている動物に理想など理解できるとは思えません。

今を生きているからこそ、現実的なのだと思うのです。

私たちのように文明の中にどっぷり漬かって、ボケた心とは違い、生死を賭けて生きている動物たちの心は真っ直ぐで強いものなのだと思います。


いい加減な感傷的な気持ちで立ち向かえるようにものではないのです。
そう思っていたところにシーザー・ミランの番組が始まりました。

正直なところ、ところどころに?マークはつきますが、関係作りを優先して行動修正を図るところに興味をそそられました。


何より飼い主に対して、飼い主の感情を変えようと努力する姿に自分と同じものを感じました。

人の無理解から虐げられた犬たちに救いの手を差し伸べている彼を見ていると、今まで私が出会った尊敬するトレーナーのみなさんとなんら変わらない犬への愛情を感じました。

今、トレーニングの指導を行っている人の中で、シェルターや保険所の犬たちに注意を向けたり、手を差し伸べている人がいったいどれくらいいるでしょうか?


性格のいい犬を飼って、試験に受かって、指導者になったような経験でどれだけの困っている飼い主や犬を救えるのでしょう?


見捨てられて人を信用できなくなった犬、人に虐待されて傷ついた犬、身勝手な理由で捨てられる犬たちの心を知ろうともしない人にどうやって関係作りを教えられるのだろうと考えると、そうかぁ〜だからごほうびでなんとかしようとするんだぁと思ってしまいました。


道具よりも心で向き合うことを大切にしようとする人たちは、見えるものしか頼りにしない科学という言葉に惑わされることなく、実際に心で感じるものを優先するのだと思いました。


それは、科学ではタブーなのかも知れませんが、生き物としての原点に立ち戻れば必要性をヒシヒシと感じるはずです。


最近、新しい仲間として向かえた小さい巨人は、そのことを私に伝えてくれます。

「私は、クレートで一人でもいれるけど、誰かの暖かさを感じれるところでいる方がずっとずっと嬉しいの。私は一人じゃないよね。みんなと一緒だよね。」と何度も何度も私に伝えるのです。


そんな彼女の声を聞いてあげられる自分が本当にしたかったことなんだと思えるのです。

一緒にいても孤独で淋しいと思っている犬たちを救ってあげれたらと思うと、シーザー・ミランの提唱することも大切だと思う今日この頃です。

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