いじめについて
いじめについて by little-K
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投稿日時 2010-4-2 11:46 | 最終変更
先日、私の友人が某音楽学校で起きたいじめからの裁判で傍聴してきた話を聞かせてくれました。
その音楽学校は、女子だけの学校で、私はそんな「女の花園」経験がない貧乏共学の出身なので、そこで繰り広げられたとされるいじめの実態をただただ信じられないと思うばかりでした。
確かに、就職してから男性の多い職場で、女性陣から誤解を受けて、手ひどい目にあわされた経験はあります。
そこに存在するのは、「嫉妬」、「妬み」などの思いからの嫌がらせでした。
「あなたの行動は、理解できないわ。まるで宇宙人ね!」と言われたこともあります。
今なら、「ほっといてくれ!私が宇宙人だろうとなかろうと、あんたには関係ないだろう!」とオバチャン根性で言えるけど、10代の乙女だった頃に、そんな友達の言葉で傷ついていたんです。
いつの間にか、自分が我慢すれば全てのことはうまく行くと思い込んで、自分の心を縛りつけたおかげで、自律神経失調症に、この私がなったんですからねぇ〜。
今考えればたいしたことではなかったけど、当時の自分にはガビーンとくる相手からの言葉に常に傷ついていたのでしょうね。
言葉でも傷つくのに、嫌がらせなんかされた日には、そりゃあ辛いだろうなぁと、友人の話を聞いていて思いました。
どんな言葉にも、どんな嫌がらせにも負けない強い心を作るって、実はそんなに難しいことではないのですが、なかなかウジウジしている人は見つけられないのです。
自分で自分を傷つけていることに気がついて、自分を解放してあげればとても早く楽になれるのです。
私が、この仕事でチェーン・カラーを使うこともあると発言してからの某団体の人たちは、私を陰で「暴力訓練士」と呼び、いわゆる「村八分」にしました。
その時に、私は、「必ず、自分の実力を高くして、今、私をバカにしている人たちを見返してやる!文句なんか言えないくらいにトレーニングを勉強しよう。誰にも絶対に負けないくらいに。」と心に誓いました。
今の私があるのは、ある意味、そうした扱いを受けて、自分をより磨こうと努力した結果だとも言えます。
その時には、苦しかったし、辛かったですが、何者にも負けない、負けたくないと自分を叱咤激励して頑張り続けた結果だと思います。
弱い自分を克服することができると、少々のことでは動じなくなってきます。
私は、母から「自分がされて嫌だったことは決して他人にしてはいけない。自分がしてもらって良かったと思うことを他人にしてあげることだ。」と教わってきました。
我が師匠、テリー・ライアン先生から決してどんなことをしても恩返しできないくらいたくさんのことを学ばせていただき、サポートしていただきました。
テリー先生が私にして下さったことを今度は私が私の周りの人たちにしてあげなくては!と思っています。
悲しいかな、その思いをストレートに受け止めてくれない人もいます。
でも、自分が経験してきたことの中で、どんな逆境も跳ね返す力は、先人のサポートと仲間の理解だと思います。
自分が心の目をしっかりと開けて見れば、自分を支えてくれる仲間やサポートしてくれる人の存在に気付くはずです。
そして、その気持ちに必ず応えることです。
いじめる人を批判してもいじめはなくならないと思うのです。
どんなにいじめられても、逆境に立たされても、前向きにひたすらに向かって行く人がいじめをなくしていけるのだと思います。
誰かのせいや、周りのせいや、性格や環境のせいにしていれば楽かもしれないけど、決して自分は救えない。
立ち向かって行く勇気と自分は支えられて生かされているんだという強い思いを持って、いつも前向きであれば必ず天使がほほえんで手を貸してくれると私は信じています。
物凄いいじめにあって音楽学校を退学させられた女の子のことを知って、裁判という手段で自分の身の潔白を証明することこそ、彼女の前向きな戦いなのだと感じました。
私ならきっと心が折れて、自殺したかもしれないくらいの学校や,周りの仲間たちの仕打ちに果敢に立ち向かうその姿を私は尊敬し、心から応援したいと思っています。
そして、ちっぽけなことでクヨクヨしているみんなに、もっと辛い思いをしていても立ち向かう人がいることを知って欲しいと思いました。
大阪の専門学校の仕事がなくなりました。
時間ができそうなので、この裁判を私も許される限り傍聴させていただこうと思いました。
その音楽学校は、女子だけの学校で、私はそんな「女の花園」経験がない貧乏共学の出身なので、そこで繰り広げられたとされるいじめの実態をただただ信じられないと思うばかりでした。
確かに、就職してから男性の多い職場で、女性陣から誤解を受けて、手ひどい目にあわされた経験はあります。
そこに存在するのは、「嫉妬」、「妬み」などの思いからの嫌がらせでした。
「あなたの行動は、理解できないわ。まるで宇宙人ね!」と言われたこともあります。
今なら、「ほっといてくれ!私が宇宙人だろうとなかろうと、あんたには関係ないだろう!」とオバチャン根性で言えるけど、10代の乙女だった頃に、そんな友達の言葉で傷ついていたんです。
いつの間にか、自分が我慢すれば全てのことはうまく行くと思い込んで、自分の心を縛りつけたおかげで、自律神経失調症に、この私がなったんですからねぇ〜。
今考えればたいしたことではなかったけど、当時の自分にはガビーンとくる相手からの言葉に常に傷ついていたのでしょうね。
言葉でも傷つくのに、嫌がらせなんかされた日には、そりゃあ辛いだろうなぁと、友人の話を聞いていて思いました。
どんな言葉にも、どんな嫌がらせにも負けない強い心を作るって、実はそんなに難しいことではないのですが、なかなかウジウジしている人は見つけられないのです。
自分で自分を傷つけていることに気がついて、自分を解放してあげればとても早く楽になれるのです。
私が、この仕事でチェーン・カラーを使うこともあると発言してからの某団体の人たちは、私を陰で「暴力訓練士」と呼び、いわゆる「村八分」にしました。
その時に、私は、「必ず、自分の実力を高くして、今、私をバカにしている人たちを見返してやる!文句なんか言えないくらいにトレーニングを勉強しよう。誰にも絶対に負けないくらいに。」と心に誓いました。
今の私があるのは、ある意味、そうした扱いを受けて、自分をより磨こうと努力した結果だとも言えます。
その時には、苦しかったし、辛かったですが、何者にも負けない、負けたくないと自分を叱咤激励して頑張り続けた結果だと思います。
弱い自分を克服することができると、少々のことでは動じなくなってきます。
私は、母から「自分がされて嫌だったことは決して他人にしてはいけない。自分がしてもらって良かったと思うことを他人にしてあげることだ。」と教わってきました。
我が師匠、テリー・ライアン先生から決してどんなことをしても恩返しできないくらいたくさんのことを学ばせていただき、サポートしていただきました。
テリー先生が私にして下さったことを今度は私が私の周りの人たちにしてあげなくては!と思っています。
悲しいかな、その思いをストレートに受け止めてくれない人もいます。
でも、自分が経験してきたことの中で、どんな逆境も跳ね返す力は、先人のサポートと仲間の理解だと思います。
自分が心の目をしっかりと開けて見れば、自分を支えてくれる仲間やサポートしてくれる人の存在に気付くはずです。
そして、その気持ちに必ず応えることです。
いじめる人を批判してもいじめはなくならないと思うのです。
どんなにいじめられても、逆境に立たされても、前向きにひたすらに向かって行く人がいじめをなくしていけるのだと思います。
誰かのせいや、周りのせいや、性格や環境のせいにしていれば楽かもしれないけど、決して自分は救えない。
立ち向かって行く勇気と自分は支えられて生かされているんだという強い思いを持って、いつも前向きであれば必ず天使がほほえんで手を貸してくれると私は信じています。
物凄いいじめにあって音楽学校を退学させられた女の子のことを知って、裁判という手段で自分の身の潔白を証明することこそ、彼女の前向きな戦いなのだと感じました。
私ならきっと心が折れて、自殺したかもしれないくらいの学校や,周りの仲間たちの仕打ちに果敢に立ち向かうその姿を私は尊敬し、心から応援したいと思っています。
そして、ちっぽけなことでクヨクヨしているみんなに、もっと辛い思いをしていても立ち向かう人がいることを知って欲しいと思いました。
大阪の専門学校の仕事がなくなりました。
時間ができそうなので、この裁判を私も許される限り傍聴させていただこうと思いました。