アメリカのカリスマトレーナーのお話
アメリカのカリスマトレーナーのお話 by little-K
先日からケーブルテレビで、アメリカのカリスマトレーナーのシーザー・ミランの犬の問題行動を1時間に3件ずつ解決している内容が放送されています。
私は、彼の本の翻訳本「あなたの犬は幸せですか」を読みました。
帯に「犬と気持ちを通わせて、その絆に奇跡が起こるー全米80万部突破の大ベストセラーの日本語版」とありました。
要するに、犬には、運動、規律、愛情の順番で与えるべきであるというのが彼の考え方です。
確かに、私も犬の問題行動のほとんどが適切な運動と愛情の与え方に問題があるからだと思います。
先日、預かったチワワは、とても問題を抱えていましたが、私が優先したことは「疲れるほどにかまってやること」でした。
全ての問題が解決できた訳ではないけれども、少なくとも人を慕い、甘えられる犬にすることができたと思っています。
今回、犬に教えられたことは、問題行動を直そうとするあまり、犬ときちんと向かい合う姿勢を見せることができないでいる人があまりに多いということです。
チワワには、問題解決など必要なかったのです。
彼女に必要だったのは、自分を心から愛してくれる人だったのではないかと思います。
彼女が抱えたトラウマは大きく、与えられた時間内では解決することはできなかったけれども、彼女の人に対するわだかまりは解決できたと信じています。
散々、遊んだ後に必ず疲れきってリクライニングチェアーで寝そべる私の胸の上で気持ち良さそうに眠っていたからです。
シーザー・ミランが全米で受けたのは、トレーニングの世界がオペラント至上主義に傾き、本来は大切にしなければならない感情のあり方を忘れるような科学者優位の考え方に問題があると指し示しているように思えます。
もちろん、彼がすごいと言い切れないところもあります。
どう見ても作られていると思わせるようなシーンが山のように出てくるからです。
犬の行動についても、「???」と思うような解説がされていたりもします。
それは、彼が全て正しいと言い切れないということを示していると思います。
けれども彼の言い分を全く否定する気にもなれません。
自分が体験してきた問題行動の解決に、彼の言うことも一理あるからです。
それなのに、「もうリーダーシップなんて言葉を使わない!」とか「アルファーシンドロームは、権勢症候群なんて言われるから良くない」なんて反応にも問題を感じます。
確かに彼の「犬は支配しなければならない」という言葉には問題があると私も思うけど、「犬には、正しく導けるリーダーが必要だ」ということには賛成できます。
私はずるいかも知れないけど、それぞれの人の良いところをうまく自分のトレーニングに活用する応用力が指導者には絶対的に必要だと思います。
少なくとも犬の行動学や心理学、学習の原理なんかよりも大切なんじゃないかなと現代の人の心の問題や社会の環境から言えます。
私の友人のインストラクターは、そんな研究を大学で行っています。
彼女はいつも私に犬との関係は、社会情勢や生活が大いに影響していると熱く語ってくれます。
人の心の変化を無視して、普遍的な法則だけに縛られていて、ドッグトレーニングはうまくできるはずがないというのが私たちの共通の考え方です。
その発展のさせ方は、彼女と私では異なりますが、根底にある犬との関係作りに関しての意識は同じであると思います。
まだまだ、テレビの内容は続くようです。
そうそう、彼はこの間の番組の中で、ハリケーンカトリーナーで被災した犬たちのレスキューに力を貸していました。
自分も2頭の犬を引取っていました。
そうそう、アメリカのトレーナーさんやインストラクターは、シェルターで犬の勉強を必ずしているよなぁと思いました。
友人は、神戸の動物管理センターのボランティアがなかなか少なくて大変だと言っていました。
私も先日、彼女の代理の仕事をしながら、ボランティアスタッフの仕事を見てきましたが、とても大変そうでした。
たくさんの犬たちに、いろいろなことをしてあげたくても、世話だけで精一杯なんだそうです。
センターの場所が不便なところだからだと思うと言っていましたが、私はそうは思いません。
本当にトレーニングを勉強したいと思う人は、シェルターワークは、絶対的にやらねばならない課題であると思うのに、お金を出してお客様になってイスに座って勉強すれば良いと思う考え方に問題があるのだと思います。
私がアメリカで出会った素晴らしいトレーナーたちは、みなさんシェルターワークをなさっている方たちで、毎日、人の不理解で苦しんでいる犬たちのリハビリに心をくだいておられました。
そんなこともしないで、シーザー・ミランの批判をすることは、できないと思います。
トレーナーについての批判も同じだと思います。
トレーナーを批判するなら、トレーナーたちと同じ土俵で実力を示さねばなりません。
私は、時々、競技会やテストに参加しますが、なかなか同業者には会いません。
ライセンスを取るまでは熱心ですけどね。
ライセンスを取ったら見向きもしない人が多いと思うのは、私だけなのでしょうか?
私は、彼の本の翻訳本「あなたの犬は幸せですか」を読みました。
帯に「犬と気持ちを通わせて、その絆に奇跡が起こるー全米80万部突破の大ベストセラーの日本語版」とありました。
要するに、犬には、運動、規律、愛情の順番で与えるべきであるというのが彼の考え方です。
確かに、私も犬の問題行動のほとんどが適切な運動と愛情の与え方に問題があるからだと思います。
先日、預かったチワワは、とても問題を抱えていましたが、私が優先したことは「疲れるほどにかまってやること」でした。
全ての問題が解決できた訳ではないけれども、少なくとも人を慕い、甘えられる犬にすることができたと思っています。
今回、犬に教えられたことは、問題行動を直そうとするあまり、犬ときちんと向かい合う姿勢を見せることができないでいる人があまりに多いということです。
チワワには、問題解決など必要なかったのです。
彼女に必要だったのは、自分を心から愛してくれる人だったのではないかと思います。
彼女が抱えたトラウマは大きく、与えられた時間内では解決することはできなかったけれども、彼女の人に対するわだかまりは解決できたと信じています。
散々、遊んだ後に必ず疲れきってリクライニングチェアーで寝そべる私の胸の上で気持ち良さそうに眠っていたからです。
シーザー・ミランが全米で受けたのは、トレーニングの世界がオペラント至上主義に傾き、本来は大切にしなければならない感情のあり方を忘れるような科学者優位の考え方に問題があると指し示しているように思えます。
もちろん、彼がすごいと言い切れないところもあります。
どう見ても作られていると思わせるようなシーンが山のように出てくるからです。
犬の行動についても、「???」と思うような解説がされていたりもします。
それは、彼が全て正しいと言い切れないということを示していると思います。
けれども彼の言い分を全く否定する気にもなれません。
自分が体験してきた問題行動の解決に、彼の言うことも一理あるからです。
それなのに、「もうリーダーシップなんて言葉を使わない!」とか「アルファーシンドロームは、権勢症候群なんて言われるから良くない」なんて反応にも問題を感じます。
確かに彼の「犬は支配しなければならない」という言葉には問題があると私も思うけど、「犬には、正しく導けるリーダーが必要だ」ということには賛成できます。
私はずるいかも知れないけど、それぞれの人の良いところをうまく自分のトレーニングに活用する応用力が指導者には絶対的に必要だと思います。
少なくとも犬の行動学や心理学、学習の原理なんかよりも大切なんじゃないかなと現代の人の心の問題や社会の環境から言えます。
私の友人のインストラクターは、そんな研究を大学で行っています。
彼女はいつも私に犬との関係は、社会情勢や生活が大いに影響していると熱く語ってくれます。
人の心の変化を無視して、普遍的な法則だけに縛られていて、ドッグトレーニングはうまくできるはずがないというのが私たちの共通の考え方です。
その発展のさせ方は、彼女と私では異なりますが、根底にある犬との関係作りに関しての意識は同じであると思います。
まだまだ、テレビの内容は続くようです。
そうそう、彼はこの間の番組の中で、ハリケーンカトリーナーで被災した犬たちのレスキューに力を貸していました。
自分も2頭の犬を引取っていました。
そうそう、アメリカのトレーナーさんやインストラクターは、シェルターで犬の勉強を必ずしているよなぁと思いました。
友人は、神戸の動物管理センターのボランティアがなかなか少なくて大変だと言っていました。
私も先日、彼女の代理の仕事をしながら、ボランティアスタッフの仕事を見てきましたが、とても大変そうでした。
たくさんの犬たちに、いろいろなことをしてあげたくても、世話だけで精一杯なんだそうです。
センターの場所が不便なところだからだと思うと言っていましたが、私はそうは思いません。
本当にトレーニングを勉強したいと思う人は、シェルターワークは、絶対的にやらねばならない課題であると思うのに、お金を出してお客様になってイスに座って勉強すれば良いと思う考え方に問題があるのだと思います。
私がアメリカで出会った素晴らしいトレーナーたちは、みなさんシェルターワークをなさっている方たちで、毎日、人の不理解で苦しんでいる犬たちのリハビリに心をくだいておられました。
そんなこともしないで、シーザー・ミランの批判をすることは、できないと思います。
トレーナーについての批判も同じだと思います。
トレーナーを批判するなら、トレーナーたちと同じ土俵で実力を示さねばなりません。
私は、時々、競技会やテストに参加しますが、なかなか同業者には会いません。
ライセンスを取るまでは熱心ですけどね。
ライセンスを取ったら見向きもしない人が多いと思うのは、私だけなのでしょうか?
Re: アメリカのカリスマトレーナーのお話 by ショコラ
4年前に本を読んでいましたが・・・その時はもっと今より経験も知識も少なかったので分からないことが多く、そんなに感銘もなかったのですが。。。今回テレビを見てもう一度読み直し・・・感銘を沢山受けた気がします、全く新しいことを知ったような・・・不思議な気持でした。それはどんな変なことを言う飼い主さんにも顔色も変えず・・・穏やかに丁寧に尊重した話しぶり・・・まあ訳した人の性格がでているのかもしれませんが・・・そういう話し方の出来る日本人も少ない気が自分も含めて反省するべきかな???とか、やっぱりリーダーは必要だし・・・服従って言葉だと嫌な言葉みたいだけれど心を開いた状態という訳された言葉には共感できる気がしたり・・・
沢山の犬飼い犬だけではない、心を傷つけられた犬の世話をする
それて犬のトレーナーだという人には必要なことのように私も思います。扱いやすい犬だけではなく難しい犬を沢山見ることもきっと勉強にもなるし、人としての成長には何よりたいせつでは・・・と生意気ですが、思います
そして犬には運動・・・散歩を欠かしたらいけない・・・とも思います。たとえチワワサイズでも・・・
沢山の犬飼い犬だけではない、心を傷つけられた犬の世話をする
それて犬のトレーナーだという人には必要なことのように私も思います。扱いやすい犬だけではなく難しい犬を沢山見ることもきっと勉強にもなるし、人としての成長には何よりたいせつでは・・・と生意気ですが、思います
そして犬には運動・・・散歩を欠かしたらいけない・・・とも思います。たとえチワワサイズでも・・・
Re: アメリカのカリスマトレーナーのお話 by little-K
ショコラさん
この頃、みなさんからの声が聞けなくて淋しい思いをしていたので、まずお礼を言わせて下さい。
ありがとうございます。
そうですよね、彼の表情や本当に嬉しそうにする姿など見ていると、テレビ番組としては良いんだろなぁと思います。
それに痛いところをつかれましたね。
私も含め、日本の指導者って彼のような相手を受け入れる姿勢が欠けているように思います。
犬には優しいのに、飼い主には厳しいなってよく言われます。
犬は、文句を言いたくても言えないからと言い訳して、私もよく「厳しい」と言われてます。
できるだけ相手のことを考えて,何をしてあがられるのかを犬と同じように考えて、アドバイスできるようになりたいと努力しているのですが、なかなか思いが伝わらず歯がゆい思いをすることが多いですね。
でも、彼の犬の気持ちを優先して考えるという姿勢は、ごほうびを使うトレーニングが広まる中で、ごほうびを与えることばかりに注意を向けず、犬の気持ちを理解しようと努力することの方が重要なんだと友人の訓練士が私に話してくれたことを思い出させてくれます。
その時、私は、「理由や根拠など科学的な要素は大切だよ。基礎として意識していなければ犬に理解させることが難しくなるんじゃないかなぁ。」と反論したことがあります。
感情は、学習の邪魔と思ってきたけれど、彼の主張を聞いていると、その時の訓練士の友達の言いたかったことが「これかぁ!」と思うこの頃です。
人が無理解なために、問題犬のレッテルを貼られたり、捨てられたりする犬たちを自分の目で見て、世話をして、犬に問題などないと知ることの大切さは、シェルターワークをした人でしか意識できないんじゃないかなって思ってしまいます。
自分がシェルターでボランティアをしている時の苦悩と恐ろしいほどの疲労感が忘れられません。
でも、そんな思いをしても、休みができると行ってしまう自分が本当に不思議でなりませんでした。
今考えると、今の自分の「不幸な犬、不幸な飼い主さんを少しでもなくしたい」という強い思いは、そんな経験から生まれたのだと思います。
犬から学ぶ姿勢は、どんなエライ先生のセミナーを受けるよりもずーっと効果的で意味があると私は思っています。
そして、どんな人のどんな言葉にも自分を見直す力になるのだとも思っています。
自分の考えと違うと敵対するよりも、より自分の考えを改善するための材料になると思う方がずっと有意義なんじゃないかと思います。
この頃、みなさんからの声が聞けなくて淋しい思いをしていたので、まずお礼を言わせて下さい。
ありがとうございます。
そうですよね、彼の表情や本当に嬉しそうにする姿など見ていると、テレビ番組としては良いんだろなぁと思います。
それに痛いところをつかれましたね。
私も含め、日本の指導者って彼のような相手を受け入れる姿勢が欠けているように思います。
犬には優しいのに、飼い主には厳しいなってよく言われます。
犬は、文句を言いたくても言えないからと言い訳して、私もよく「厳しい」と言われてます。
できるだけ相手のことを考えて,何をしてあがられるのかを犬と同じように考えて、アドバイスできるようになりたいと努力しているのですが、なかなか思いが伝わらず歯がゆい思いをすることが多いですね。
でも、彼の犬の気持ちを優先して考えるという姿勢は、ごほうびを使うトレーニングが広まる中で、ごほうびを与えることばかりに注意を向けず、犬の気持ちを理解しようと努力することの方が重要なんだと友人の訓練士が私に話してくれたことを思い出させてくれます。
その時、私は、「理由や根拠など科学的な要素は大切だよ。基礎として意識していなければ犬に理解させることが難しくなるんじゃないかなぁ。」と反論したことがあります。
感情は、学習の邪魔と思ってきたけれど、彼の主張を聞いていると、その時の訓練士の友達の言いたかったことが「これかぁ!」と思うこの頃です。
人が無理解なために、問題犬のレッテルを貼られたり、捨てられたりする犬たちを自分の目で見て、世話をして、犬に問題などないと知ることの大切さは、シェルターワークをした人でしか意識できないんじゃないかなって思ってしまいます。
自分がシェルターでボランティアをしている時の苦悩と恐ろしいほどの疲労感が忘れられません。
でも、そんな思いをしても、休みができると行ってしまう自分が本当に不思議でなりませんでした。
今考えると、今の自分の「不幸な犬、不幸な飼い主さんを少しでもなくしたい」という強い思いは、そんな経験から生まれたのだと思います。
犬から学ぶ姿勢は、どんなエライ先生のセミナーを受けるよりもずーっと効果的で意味があると私は思っています。
そして、どんな人のどんな言葉にも自分を見直す力になるのだとも思っています。
自分の考えと違うと敵対するよりも、より自分の考えを改善するための材料になると思う方がずっと有意義なんじゃないかと思います。
Re: アメリカのカリスマトレーナーのお話 by うさぎ
シーザミランのドックトレーナーを楽しく見ています
犬は大好きですが飼う責任を考えると
簡単ではないのですね…
散歩をさせながら人の車や家の門なんかに
オシッコをさせて平気で行ってしまう飼い主それっていいんですかね、?
犬は大好きですが飼う責任を考えると
簡単ではないのですね…
散歩をさせながら人の車や家の門なんかに
オシッコをさせて平気で行ってしまう飼い主それっていいんですかね、?
Re: アメリカのカリスマトレーナーのお話 by little-K
うさぎさん
書き込みをありがとうございます。
そうですね、飼い主の責任はとても重要なことだと思います。
その重さを忘れさせてくれるくらい愛犬との暮らしは素晴らしいものです。
いい思いも、悪い思いもすべてが良い思い出になります。
よく犬の寿命は人よりも短いので、別れがつらいから犬を飼わないと言う人がいます。
たしかに別れはとてもつらいけど、それよりもずっと一緒にいる楽しさが上回ってるので、私は犬との暮らしを取ってしまいます。
うちも玄関の門を開けたままにしていると、ドアの前に置いている犬のうんち入れのペールにかけションをされてしまいます。
近所の川沿いの道もうんちでいっぱいで悲しくなります。
犬のせいではないのに、悪く言われるのは結局犬なのですけどね。
書き込みをありがとうございます。
そうですね、飼い主の責任はとても重要なことだと思います。
その重さを忘れさせてくれるくらい愛犬との暮らしは素晴らしいものです。
いい思いも、悪い思いもすべてが良い思い出になります。
よく犬の寿命は人よりも短いので、別れがつらいから犬を飼わないと言う人がいます。
たしかに別れはとてもつらいけど、それよりもずっと一緒にいる楽しさが上回ってるので、私は犬との暮らしを取ってしまいます。
うちも玄関の門を開けたままにしていると、ドアの前に置いている犬のうんち入れのペールにかけションをされてしまいます。
近所の川沿いの道もうんちでいっぱいで悲しくなります。
犬のせいではないのに、悪く言われるのは結局犬なのですけどね。