コミュニケーションって難しい?
コミュニケーションって難しい? by little-K
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投稿日時 2011-1-20 11:26 | 最終変更
今年のテーマを決めてから、いろいろなところで犬の返事を聞くことのプログラムを展開しました。
でも、気が付いたことは、飼い主が課題を与えられると、犬の気持ちや理解を気にしないで,犬にさせることばかりになってしまうことを見せ付けられました。
どの飼い主さんも、とても愛犬を大切にしていて、理解しようと努力している方たちばかりなのです。
でも、何かをするという時に、一方的にやらせようと強制をしてしまうのです。
もちろん、本人にその自覚はありません。
ルアーであろうと、リードを使おうと、強制には違いがありません。
なぜか、ルアーを使えば正しい方法で、リードや手でやると悪い方法という、私から言わせれば身勝手な考え方で、無理やりに犬にさせている飼い主さんが多いのです。
ルアーは、ジェントルな方法、つまり優しい良い方法、正しい方法という、偏った考え方がオペラント条件づけが広まった時に浸透してしまったようです。
どれだけ犬に負担をかけないと言って犬の欲しがる食べ物を使っても、鼻先に出して行動を作っていたのでは、食べ物は単に賄賂として犬の前に出されているだけで、決して犬の行動を作るものには成り得ないと、そろそろ気付いて欲しいものです。
ルアーを使っていると、犬が自分から行動を起こしていないのです。
人が無理やりに行動をさせているだけなのです。
もしかすると、食べ物を追いかけることだけしか犬は意識していないかも知れません。
オペラント条件づけは、きっかけ→行動→結果の順番でなければ学習にならないのです。
ルアーは、行動の前に出ますから、きっかけになっても、結果イコールごほうびには、なっていません。
つまり、ごほうびは、犬がこちらのして欲しい行動をした後に出すことで、ごほうびになるのです。
犬の気持ちなどまるで無視して、何かをしようとする飼い主さんの多いことは、このオペラント条件づけのトレーニングが導入されてからではないでしょうか。
そうして食べ物だけ使っていれば優しい、良いトレーニングという偏見の元に広がってしまったと思います。
ですから、何かする時に、まず犬に「これからすることをどう思うのか」を聞くこともしなくなってしまいました。
人もそうですが、それぞれに気持ちがあり、意識があり、理解があるのです。
私が教えることを初めてから、今でも常に難しいと思っているのが、飼い主さんとのコミュニケーションです。
決して犬の行動学や心理学ではありません。(飼い主の心理学、行動学と犬のそれは極めて似ているのですけどね)
同じ説明でも、ほぼ完璧に理解できる人もいれば、全く違った理解をする人、理解することすらできない人など様々なのです。
ひとつの言葉を「励まし」と聞く人と、「非難」と聞く人、「イヤミ」と聞く人、「自分を嫌っている」と取る人など様々なのです。
言葉は、ひとつの方法に過ぎません。
頼り過ぎてはいけないのです。
相手と良いコミュニケーションを取るためには、相手を理解する、気持ちを知る必要があります。
相手を理解したり、気持ちを知るために相手から情報を得なければなりません。
それもコミュニケーションだと私は思います。
だから、コミュニケーションは、難しいのです。
「私のこの言葉を相手はどう受け止めるのか」を相手の返事やしぐさで判断しなければなりません。
相手の言葉や、行動、表情に常に気を配り、相手の気持ちを知り、そして理解してあげようと努力することが欠かせません。
特に気持ちは大切です。
気持ちは、いつも同じではありません。
常に変化するものなのです。
相手がいつも同じように自分を理解してくれていると思い込んでいると相手の気持ちの変化を読み取る力が損なわれてしまいます。
常に相手と会話したり、メールを出し合うから、相手の心の変化に気付けるのです。
疎遠になるとたちまち理解できなくなります。
私は疎遠になった人とは、なんらかの形でやりとりができなければ、その人をあれこれと思うことはできないと思っています。
そんな人に教えてあげることもできません。
疎遠になった人が私とコンタクトを取りたいと自分から行動を起こしてくれたなら別です。
その時には、できるだけ力になりたいと思っています。
とにかく、相手が自分を信じ、信頼し、自分を好きでいてくれること、でも自分に対して敬意を払ってくれるような関係作りをする必要があるということなのです。
そのために、常に自分の心、技術を磨き、自分の愛犬を大切にし、愛犬のトレーニングレベルを上げておく必要があります。
そして、きちんと説明できる知識を持ち、あらゆる情報を自分が教える時のために整理して持っていることです。
しかしそれは、とてつもない努力を必要とすることなのです。
ですから、つい「インストラクターになりたい」とか、「教えることをやりたい」とか簡単に考える人を見ると腹が立ちます。
実際に、「教えること」を正しく理解できていないで教えている人を見ると、その人に習う人の心配をしてしまいます。
余計なお世話なんですけどね。
そんな人を選ぶのも間違いなんですから、教える人だけが悪い訳ではないと思うようになりました。
でも、不適切な接し方、コミュニケーションは、相手を辛い気持ちにさせてしまいます。
長引けば、心の病気や身体的な問題につなってしまうこともあります。
今回、このテーマを1年間、じっくりと向き合って、私自身も教えることを見直し、できるだけ「不幸な犬、不幸な飼い主」の手助けができるように頑張りたいと思います。
でも、気が付いたことは、飼い主が課題を与えられると、犬の気持ちや理解を気にしないで,犬にさせることばかりになってしまうことを見せ付けられました。
どの飼い主さんも、とても愛犬を大切にしていて、理解しようと努力している方たちばかりなのです。
でも、何かをするという時に、一方的にやらせようと強制をしてしまうのです。
もちろん、本人にその自覚はありません。
ルアーであろうと、リードを使おうと、強制には違いがありません。
なぜか、ルアーを使えば正しい方法で、リードや手でやると悪い方法という、私から言わせれば身勝手な考え方で、無理やりに犬にさせている飼い主さんが多いのです。
ルアーは、ジェントルな方法、つまり優しい良い方法、正しい方法という、偏った考え方がオペラント条件づけが広まった時に浸透してしまったようです。
どれだけ犬に負担をかけないと言って犬の欲しがる食べ物を使っても、鼻先に出して行動を作っていたのでは、食べ物は単に賄賂として犬の前に出されているだけで、決して犬の行動を作るものには成り得ないと、そろそろ気付いて欲しいものです。
ルアーを使っていると、犬が自分から行動を起こしていないのです。
人が無理やりに行動をさせているだけなのです。
もしかすると、食べ物を追いかけることだけしか犬は意識していないかも知れません。
オペラント条件づけは、きっかけ→行動→結果の順番でなければ学習にならないのです。
ルアーは、行動の前に出ますから、きっかけになっても、結果イコールごほうびには、なっていません。
つまり、ごほうびは、犬がこちらのして欲しい行動をした後に出すことで、ごほうびになるのです。
犬の気持ちなどまるで無視して、何かをしようとする飼い主さんの多いことは、このオペラント条件づけのトレーニングが導入されてからではないでしょうか。
そうして食べ物だけ使っていれば優しい、良いトレーニングという偏見の元に広がってしまったと思います。
ですから、何かする時に、まず犬に「これからすることをどう思うのか」を聞くこともしなくなってしまいました。
人もそうですが、それぞれに気持ちがあり、意識があり、理解があるのです。
私が教えることを初めてから、今でも常に難しいと思っているのが、飼い主さんとのコミュニケーションです。
決して犬の行動学や心理学ではありません。(飼い主の心理学、行動学と犬のそれは極めて似ているのですけどね)
同じ説明でも、ほぼ完璧に理解できる人もいれば、全く違った理解をする人、理解することすらできない人など様々なのです。
ひとつの言葉を「励まし」と聞く人と、「非難」と聞く人、「イヤミ」と聞く人、「自分を嫌っている」と取る人など様々なのです。
言葉は、ひとつの方法に過ぎません。
頼り過ぎてはいけないのです。
相手と良いコミュニケーションを取るためには、相手を理解する、気持ちを知る必要があります。
相手を理解したり、気持ちを知るために相手から情報を得なければなりません。
それもコミュニケーションだと私は思います。
だから、コミュニケーションは、難しいのです。
「私のこの言葉を相手はどう受け止めるのか」を相手の返事やしぐさで判断しなければなりません。
相手の言葉や、行動、表情に常に気を配り、相手の気持ちを知り、そして理解してあげようと努力することが欠かせません。
特に気持ちは大切です。
気持ちは、いつも同じではありません。
常に変化するものなのです。
相手がいつも同じように自分を理解してくれていると思い込んでいると相手の気持ちの変化を読み取る力が損なわれてしまいます。
常に相手と会話したり、メールを出し合うから、相手の心の変化に気付けるのです。
疎遠になるとたちまち理解できなくなります。
私は疎遠になった人とは、なんらかの形でやりとりができなければ、その人をあれこれと思うことはできないと思っています。
そんな人に教えてあげることもできません。
疎遠になった人が私とコンタクトを取りたいと自分から行動を起こしてくれたなら別です。
その時には、できるだけ力になりたいと思っています。
とにかく、相手が自分を信じ、信頼し、自分を好きでいてくれること、でも自分に対して敬意を払ってくれるような関係作りをする必要があるということなのです。
そのために、常に自分の心、技術を磨き、自分の愛犬を大切にし、愛犬のトレーニングレベルを上げておく必要があります。
そして、きちんと説明できる知識を持ち、あらゆる情報を自分が教える時のために整理して持っていることです。
しかしそれは、とてつもない努力を必要とすることなのです。
ですから、つい「インストラクターになりたい」とか、「教えることをやりたい」とか簡単に考える人を見ると腹が立ちます。
実際に、「教えること」を正しく理解できていないで教えている人を見ると、その人に習う人の心配をしてしまいます。
余計なお世話なんですけどね。
そんな人を選ぶのも間違いなんですから、教える人だけが悪い訳ではないと思うようになりました。
でも、不適切な接し方、コミュニケーションは、相手を辛い気持ちにさせてしまいます。
長引けば、心の病気や身体的な問題につなってしまうこともあります。
今回、このテーマを1年間、じっくりと向き合って、私自身も教えることを見直し、できるだけ「不幸な犬、不幸な飼い主」の手助けができるように頑張りたいと思います。