指導者の素質
指導者の素質 by little-K
今日、岡山の専門学校の動物看護科の先生とイベントの監督をしながら、お話をしていました。
看護科の2年生は、動物福祉と看護との2つに分かれています。
福祉のセラピーの授業を私が担当しています。
学生は、10名で、正直なところ、初めは、「こいつ等大丈夫かな?」と思いました。
しかし、授業をこなして、実際に活動を体験するにしたがって、彼らは変わって行きました。
まとまりのない烏合の衆だった10名が、互いに影響し合って、共鳴して、だんだんと成長してくれました。
今日のイベントでの活動は、私だけでなく、看護科の先生が感心するくらい自分たちで動けるようになっていました。
初めの頃は、他人と話すこともできなかった学生が、子供や、他の専門学校の学生に動物とのふれあいが及ぼす効果について、顔を輝かせて話しているのを看護の先生と2人で見ていて、感動してました。
看護の先生に、「どうしたら、こんな風に自分たちで進んでやってくれるようにできるの?」と聞かれたので、私は、「できるだけ私がやらないで自分たちでさせるようにしてきたからですよ。」とお話しました。
そして、もちろん、彼ら自身の素質だと思います。
彼らは、それは大変だったと思います。
でも、失敗しても、間違えてもへこたれない強さを持っていました。
最初からバリバリできるような人は、ひとりもいませんでした。
けれども、彼らは目の前に突きつけられた課題を逃げることなく、果敢に挑み、そして苦しみながらでも乗り越えてきました。
優良な結果を出してきたとは言えませんが、確実に彼らは自分たちを成長させてくれました。
指導者の育成プログラムの受講生でダンスのレッスンに出てきている人がいます。
一人は、ダンスの才能は今ひとつだと思いますが、とても上手にレッスンで落ちこぼれた人を支えてくれています。
自分だけでも大変なのに、常にさり気なく、ついていけない人に目を配り、気を配り、声をかけて励ましています。
もう一人は、とても上手にレッスンで見本を努めてくれています。
先日もレッスンで私はひどく混乱してしまいました。
彼女は、自分もなかなか大変なのに、私を見かねてめずらしく声をかけてくれました。
指導者にも大きく分けると2つのタイプがあります。
ひとつは、自分の能力を高くして、見本となり、他の人の基準を上げようとする人、カリスマ的な人です。
そして、もうひとつは、自分よりも他の人たちにアドバイスを出して一緒にレベルアップを図ろうとする人、同調型の人です。
どちらも指導者として存在します。
私はどちらかというと後者の方です。
もちろん、自分の能力もできるだけ高くするように常に努力していますが、周りを引き上げるためにできることを常に摸索しているのです。
どちらが良いとか、悪いとかの問題ではないと思います。
ただ、カリスマ的な人は、自分ばかりしか見えていないナルシストになる傾向があります。
指導者は、やはり自分以外の人にどれだけ注意を向けることができるかが重要です。
そして、どれだけ確実に他人を動かせるかだと思います。
学生が成長したのも、自分のことだけでなく、まわりの仲間に注意を向けられるようになり、仲間のことを考えるようになったからだと私は思っています。
ダンスのレッスンの中で、私は、この2人がどれだけオチコボレを救って行くのかを観察するのを密かな楽しみのひとつにしています。
ちなみに私もオチコボレの一人でーす
看護科の2年生は、動物福祉と看護との2つに分かれています。
福祉のセラピーの授業を私が担当しています。
学生は、10名で、正直なところ、初めは、「こいつ等大丈夫かな?」と思いました。
しかし、授業をこなして、実際に活動を体験するにしたがって、彼らは変わって行きました。
まとまりのない烏合の衆だった10名が、互いに影響し合って、共鳴して、だんだんと成長してくれました。
今日のイベントでの活動は、私だけでなく、看護科の先生が感心するくらい自分たちで動けるようになっていました。
初めの頃は、他人と話すこともできなかった学生が、子供や、他の専門学校の学生に動物とのふれあいが及ぼす効果について、顔を輝かせて話しているのを看護の先生と2人で見ていて、感動してました。
看護の先生に、「どうしたら、こんな風に自分たちで進んでやってくれるようにできるの?」と聞かれたので、私は、「できるだけ私がやらないで自分たちでさせるようにしてきたからですよ。」とお話しました。
そして、もちろん、彼ら自身の素質だと思います。
彼らは、それは大変だったと思います。
でも、失敗しても、間違えてもへこたれない強さを持っていました。
最初からバリバリできるような人は、ひとりもいませんでした。
けれども、彼らは目の前に突きつけられた課題を逃げることなく、果敢に挑み、そして苦しみながらでも乗り越えてきました。
優良な結果を出してきたとは言えませんが、確実に彼らは自分たちを成長させてくれました。
指導者の育成プログラムの受講生でダンスのレッスンに出てきている人がいます。
一人は、ダンスの才能は今ひとつだと思いますが、とても上手にレッスンで落ちこぼれた人を支えてくれています。
自分だけでも大変なのに、常にさり気なく、ついていけない人に目を配り、気を配り、声をかけて励ましています。
もう一人は、とても上手にレッスンで見本を努めてくれています。
先日もレッスンで私はひどく混乱してしまいました。
彼女は、自分もなかなか大変なのに、私を見かねてめずらしく声をかけてくれました。
指導者にも大きく分けると2つのタイプがあります。
ひとつは、自分の能力を高くして、見本となり、他の人の基準を上げようとする人、カリスマ的な人です。
そして、もうひとつは、自分よりも他の人たちにアドバイスを出して一緒にレベルアップを図ろうとする人、同調型の人です。
どちらも指導者として存在します。
私はどちらかというと後者の方です。
もちろん、自分の能力もできるだけ高くするように常に努力していますが、周りを引き上げるためにできることを常に摸索しているのです。
どちらが良いとか、悪いとかの問題ではないと思います。
ただ、カリスマ的な人は、自分ばかりしか見えていないナルシストになる傾向があります。
指導者は、やはり自分以外の人にどれだけ注意を向けることができるかが重要です。
そして、どれだけ確実に他人を動かせるかだと思います。
学生が成長したのも、自分のことだけでなく、まわりの仲間に注意を向けられるようになり、仲間のことを考えるようになったからだと私は思っています。
ダンスのレッスンの中で、私は、この2人がどれだけオチコボレを救って行くのかを観察するのを密かな楽しみのひとつにしています。
ちなみに私もオチコボレの一人でーす
Re: 指導者の素質 by 凪あねご
落ちこぼれ・・・耳が痛いですね。
何事も器用に上手くこなせたためしが無い私には「カリスマ的」という言葉は魅力的に感じる事も有ります。
でも、不器用で遠回りをした人にしか得られない大切な経験が沢山有ると信じて(開き直って?)います。
私も若い学生達のやる事には、不安にさせられる事も沢山ありますが、指導は最小限にしています。時間がかかっても自分で試行錯誤して得た方法は忘れませんので。
逆に若いからこその大胆さや行動力は見習わないといけないなぁ、と思います。
何事も器用に上手くこなせたためしが無い私には「カリスマ的」という言葉は魅力的に感じる事も有ります。
でも、不器用で遠回りをした人にしか得られない大切な経験が沢山有ると信じて(開き直って?)います。
私も若い学生達のやる事には、不安にさせられる事も沢山ありますが、指導は最小限にしています。時間がかかっても自分で試行錯誤して得た方法は忘れませんので。
逆に若いからこその大胆さや行動力は見習わないといけないなぁ、と思います。
Re: 指導者の素質 by little-K
凪あねご さんへ
レスが遅くなってすみませんでした。
なにしろものすごいスケジュールを犬達と共に過ごしております。
「オチコボレ」と言う言葉をマイナスなイメージを持っている人が多いですが、実は私にとっては、とても親しみのある言葉です。
「オチコボレ」には、2通りあると私は思っています。
1つは、努力を惜しまないでやっているけど、どーしてもうまくできないオチコボレです。
私もこの中に入るのですが、スラ〜っとできる人を見ているとうらやましく思うけれども、負けないぞって気持ちでがんばる不器用な人がいます。
もう1つの「オチコボレ」は、始めから自分はダメだとあきらめているオチコボレです。
うまくできないのを周りのせいにしたり、環境や運命や誰かや何かのせいにしている人です。
実は、もう1つの「オチコボレ」があります。
自分が落ちこぼれていることに気がついていない自覚のない「隠れオチコボレ」です。
人生も技術も簡単に通り過ぎるのと、苦しみながら得るのとでは、全く異なったものになってしまうと思います。
凪あねごさんのおっしゃる通りで、遠回りをすることの意味を知っている人は強いと思います。
決して開き直りではないですよ。
私はカッコつけなので、影で努力している姿をあまり見せないことで器用な人と誤解されてしまうのですが、きっと凪あねごさんと同じくらい不器用だと思います。
「カリスマ」ってそんな努力からでも生まれるんですよ。
誰にでもなれるものですが、そのための裏にある努力の大きさが重要なのだと思います。
自分よりも誰かのことを優先して考えることができるようになれていれば、指導者としての心得を得ていると言えるのではないでしょうか?
学生の若さのエネルギーは、本当にすごいですし、自分の若返りには良いかもしれないですよね。
レスが遅くなってすみませんでした。
なにしろものすごいスケジュールを犬達と共に過ごしております。
「オチコボレ」と言う言葉をマイナスなイメージを持っている人が多いですが、実は私にとっては、とても親しみのある言葉です。
「オチコボレ」には、2通りあると私は思っています。
1つは、努力を惜しまないでやっているけど、どーしてもうまくできないオチコボレです。
私もこの中に入るのですが、スラ〜っとできる人を見ているとうらやましく思うけれども、負けないぞって気持ちでがんばる不器用な人がいます。
もう1つの「オチコボレ」は、始めから自分はダメだとあきらめているオチコボレです。
うまくできないのを周りのせいにしたり、環境や運命や誰かや何かのせいにしている人です。
実は、もう1つの「オチコボレ」があります。
自分が落ちこぼれていることに気がついていない自覚のない「隠れオチコボレ」です。
人生も技術も簡単に通り過ぎるのと、苦しみながら得るのとでは、全く異なったものになってしまうと思います。
凪あねごさんのおっしゃる通りで、遠回りをすることの意味を知っている人は強いと思います。
決して開き直りではないですよ。
私はカッコつけなので、影で努力している姿をあまり見せないことで器用な人と誤解されてしまうのですが、きっと凪あねごさんと同じくらい不器用だと思います。
「カリスマ」ってそんな努力からでも生まれるんですよ。
誰にでもなれるものですが、そのための裏にある努力の大きさが重要なのだと思います。
自分よりも誰かのことを優先して考えることができるようになれていれば、指導者としての心得を得ていると言えるのではないでしょうか?
学生の若さのエネルギーは、本当にすごいですし、自分の若返りには良いかもしれないですよね。