犬の気持ちを理解する
犬の気持ちを理解する by little-K
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投稿日時 2012-6-26 15:09 | 最終変更
先日の教室で、やっと前から言っていたテンプル先生の「動物が幸せを感じるとき」のハンドアウトをお渡しすることができました。
今回は、動物全般の感情についてというものです。
犬については、また次の機会にお出ししますね。
私たちは、つい人間の考え方で動物たちのことを判断してしまいます。
愛犬のために良かれと思ってしたことが、実は愛犬を苦しめていたり、精神的な健康を害していたりすることがあります。
動物たちの感情を理解することは、とても大切なことなのです。
テンプル先生は、とてもわかりやすい例をあげています。
動物の福祉として「5つの自由」というのがありますが、その中に「恐怖にさられさない自由」があります。
わかりやすそうですが、単純明快ではありません。
ふつう、動物は天敵が近くにいなければ怖がるはずがないと人は考えます。
しかし、動物にとって「恐怖」とはそういうものではありません。
敵が襲いかかってくるまで「恐怖」を感じなければ、逃げることができず捕食されてしまいます。
被捕食種は、天敵に見つかってしまいそうな広々としたところにいる時、「恐怖」を感じるようになっているのです。
鶏のめんどりは、卵を産む時、隠れるところが必要です。めんどりは、卵を産む時、隠れて産むように進化してきたのです。
めんどりが「恐怖」を感じないのは「隠れる」という行動であって、天敵が入ってこない環境に棲むことではありません。
私たち人間は、知能の高さを誤解して自分の考えることが動物たちにとって最良なのだ思い込んでいるように思えます。
犬に関してもテンプル先生が取り上げているのですが、私が青垣教室を始めたきっかけも同じ思いからなのです。
それは、動物の福祉の「自然な行動をとる自由」についてのところに書かれていました。
犬にとっては1日に何キロもうろつくのは自然な行動ですが、それは現実的には不可能なことです。
環境的に考えても危険です。
飼い犬に刺激的で楽しい生活をさせるためには、代わりの行動を考えてあげなくてはなりません。
とあります。
都会の犬の生活は、犬たちにとって自然な行動を抑制されてしまっているように思えてなりません。
飼い主が求めている愛犬の理想の姿は、実は犬たちにとっては不自然で納得できないものなのかも知れないと思ったりします。
また、先生は「動物の苦悩は、もっと謎に包まれている」と書いています。
そもそも動物の苦悩とは何か。
怒りだろうか?
孤独だろうか?
退屈だろうか?
退屈は感情なのだろうか?
動物が寂しいとか、それとも退屈しているとかなど、どうやって見分ければいいのだろう?
とあります。
動物の感情を科学的でないから考えなくていいというのでしょうか?
感情を重視することは「よくないこと」と思っていいのでしょうか?
確かに、感情に流されるようでは、良いコミュニケーションは築けないと私も思います。
でも、愛情を含む感情は、行動を左右するとても大切なものであると思うのです。
特に、自分の感情でなく、犬の感情についてをできるだけ正しく理解することで、コミュニケーションを良いものにできるのではないかと思い、テンプル先生の資料をみなさんに出したいと思ったのです。
犬については、もう少し時間をかけて私なりに消化してからハンドアウトにしたいと思っていますので、今しばらく待っていて下さいね。
また、座学で詳しく説明する機会を持てたらと思っています。
今回は、動物全般の感情についてというものです。
犬については、また次の機会にお出ししますね。
私たちは、つい人間の考え方で動物たちのことを判断してしまいます。
愛犬のために良かれと思ってしたことが、実は愛犬を苦しめていたり、精神的な健康を害していたりすることがあります。
動物たちの感情を理解することは、とても大切なことなのです。
テンプル先生は、とてもわかりやすい例をあげています。
動物の福祉として「5つの自由」というのがありますが、その中に「恐怖にさられさない自由」があります。
わかりやすそうですが、単純明快ではありません。
ふつう、動物は天敵が近くにいなければ怖がるはずがないと人は考えます。
しかし、動物にとって「恐怖」とはそういうものではありません。
敵が襲いかかってくるまで「恐怖」を感じなければ、逃げることができず捕食されてしまいます。
被捕食種は、天敵に見つかってしまいそうな広々としたところにいる時、「恐怖」を感じるようになっているのです。
鶏のめんどりは、卵を産む時、隠れるところが必要です。めんどりは、卵を産む時、隠れて産むように進化してきたのです。
めんどりが「恐怖」を感じないのは「隠れる」という行動であって、天敵が入ってこない環境に棲むことではありません。
私たち人間は、知能の高さを誤解して自分の考えることが動物たちにとって最良なのだ思い込んでいるように思えます。
犬に関してもテンプル先生が取り上げているのですが、私が青垣教室を始めたきっかけも同じ思いからなのです。
それは、動物の福祉の「自然な行動をとる自由」についてのところに書かれていました。
犬にとっては1日に何キロもうろつくのは自然な行動ですが、それは現実的には不可能なことです。
環境的に考えても危険です。
飼い犬に刺激的で楽しい生活をさせるためには、代わりの行動を考えてあげなくてはなりません。
とあります。
都会の犬の生活は、犬たちにとって自然な行動を抑制されてしまっているように思えてなりません。
飼い主が求めている愛犬の理想の姿は、実は犬たちにとっては不自然で納得できないものなのかも知れないと思ったりします。
また、先生は「動物の苦悩は、もっと謎に包まれている」と書いています。
そもそも動物の苦悩とは何か。
怒りだろうか?
孤独だろうか?
退屈だろうか?
退屈は感情なのだろうか?
動物が寂しいとか、それとも退屈しているとかなど、どうやって見分ければいいのだろう?
とあります。
動物の感情を科学的でないから考えなくていいというのでしょうか?
感情を重視することは「よくないこと」と思っていいのでしょうか?
確かに、感情に流されるようでは、良いコミュニケーションは築けないと私も思います。
でも、愛情を含む感情は、行動を左右するとても大切なものであると思うのです。
特に、自分の感情でなく、犬の感情についてをできるだけ正しく理解することで、コミュニケーションを良いものにできるのではないかと思い、テンプル先生の資料をみなさんに出したいと思ったのです。
犬については、もう少し時間をかけて私なりに消化してからハンドアウトにしたいと思っていますので、今しばらく待っていて下さいね。
また、座学で詳しく説明する機会を持てたらと思っています。