やっと今年の春の優良家庭普及協会の認定試験GCTのジャッジの仕事が終わりました。
協会の事業に参加、協力を始めてから10年になろうとしています。
もっと、社会に受け入れられる犬を増やしたいという思いから始めたのですが、なかなか私の思いが飼い主さんに伝わらず、悲しい思いをしたこともありました。
確かにテストは、難しいものだと思います。
それを高望みだと切り捨てられたために、私の教室自体を批判されたのです。
しかし、犬たちの権利を社会的に認めさせようと思うと、どうしても「犬は決して私たち人間に対して悪い生き物ではありません。」ということを一般の人に理解してもらわねばなりません。
けれども、世の中に無責任な飼い主がたくさんいて、犬の糞尿を自分のところ以外で放置し、犬を鳴かせて近所に迷惑をかけ、犬を放して他人にけがをさせるなどの行為が頻繁にくり返されてしまいした。そして、そんな行為が社会では、犬そのものの問題と受けとめられるようになったのです。
犬は適切に世話をし、適切に管理できれば、決して悪い生き物ではないのです。それどころか、私たち人間は、遠い昔から、この生き物と仲良く暮らしてきたのです。人間は、文明の名の基に古い昔に仲良くしていたこの愛すべき生き物を厄介者にしようとしているのです。
私は、いつも自分の愛犬に助けられてきました。今は亡きネイトは、私の精神的な支えだけでなく、仕事においても支え続けてくれました。この素晴らしき生き物と昔のように私たちと仲良く暮らすようにするためには、私たち人間が責任を果たさねばならないのです。
その責任のひとつがトレーニングです。トレーニングとは?と聞かれると、さまざまな答えが返ってきます。そうです、トレーニングについての認識は、それぞれの人によって異なるのです。私は、トレーニングは、犬とのコミュニケーションのひとつであり、会話だと思っています。ある人は、「トレーニングは犬と楽しく暮らすためのルールを教えることだ。」と言います。
そうなんです、トレーニングについての考え方は、人それぞれで異なっているのです。
言い換えれば、それぞれの飼い主が愛犬との関わり方やトレーニングについての考え方を持つべきだと私は思います。
昔ながらのアメとムチで犬をコントロールすることだと考える人もいると思います。
家族として人間と同じように接することだと考える人もいるでしょう。
どれが正解で、どれが間違っているという判断はできません。考えることは、誰でも自由なのですから。
ただ、社会的に受け入れられる、誰から見ても納得できる考え方を探る必要はあると思います。私たちは、社会の中で生きているのですから。
私たち指導者もそれぞれにトレーニングの哲学を持っています。しかし、私はそれを人に強制する権利はないと思っています。
飼い主それぞれが自分で考えて欲しいと思っています。
犬という生き物を自分はどう見ているのか、そしてトレーニングをどう考えるのかをしっかりと意識して、たとえプロの助言であっても鵜呑みにせず、自分の思っていることと照らし合わせて考えていただきたいと思います。