(Update:2008-12-29 22:45:25)
犬と暮らす意味
もうすぐ今年2008年が終わります。今年は、ねずみ年で大変なことが起こると言われていました。
確かに激しい気温の変化やゲリラ雨、毎日ニュースで信じられないような悲惨な事件が起きて、私たちの心を暗くしていました。
その上、今年はたくさんのワンコが天国に逝きました。
私自身も、スクールを始めてからずっと付き合ってくれた姉が仕事を辞めて新たなシフトでスクールを動かさなければならなかったり、母がどんどんと年老いて問題を抱えることになり、ネイトが亡くなって我が家の犬たちも精神的に乱れるなど本当に激動の1年であったと思います。
そんな中で私に突きつけられたいくつかの選択肢の中に犬との暮らしがありました。
4頭の犬と暮らすことは決して楽なことではありません。
中には他人に任せて自分の都合のいい犬とだけ楽しんでいる指導者もいますが、私にはそんなことはできません。
自分の犬は自分で世話をしてこそ、犬たちとの関係を良好にし、それを生徒さんたちに見てもらうことで、生徒さんたちが犬たちにとって良い飼い主になるために努力してくれるのだと今でも私は信じています。
どんなに犬が優秀でも、その世話をきちんとできていないなら飼い主としては最低なのだと思うのです。
犬たちの福祉の向上を考えるなら自分勝手なエゴを押し付けず、犬たちの幸せを優先しなければならない時もあることを自覚しなければならないのです。
普段の生活でどれだけ犬たちのために時間をさけるかは大きな課題です。
特に家事や仕事をこなして行く上で何度も選択をよぎなくされることがあります。
私の犬たちは、私が仕事をしている間、おとなしくクレートで待っていなければなりません。
専門学校では、へたくそな学生のハンドリングでも付き合ってもらわねばなりません。
私は自分が選んだことですから、ハードなスケジュールでもしかたないと思えるけど、犬たちは私の勝手に振り回されて、長い車の移動や、慣れない場所への移動などでストレスは溜まる一方です。
それでも文句も言わずに付き合ってくれる、それが犬なのです。
そんな気のいい犬の気持ちを当たり前のようにして、どんどんストレスをかけても平気でいられるような飼い主になりたくないし、生徒さんにもなって欲しくはありません。
彼らのおかげで仕事ができ、仲間ができ、友達ができたのです。
そのことを忘れてはいけないのです。
今は亡き相棒ネイトに若い頃の私は自分の勝手を押し付けて、とんでもないハードなスケジュールをこなしてきました。
仕事をしていることが自分を磨く手段であると信じ、ネイトの都合など考えもせずに、ひたすら仕事をしてきました。
神様はそんな勝手で思いあがった私に罰としてネイトを哀れな姿にしたのです。
年齢より遥かに年老いて見えるくらいネイトは疲れ果てていました。
それでもネイトは私といることを選んでくれました。
12歳という年齢で苦しみながら闘病を続けてくれたネイトは、私にたくさんのことを教えてくれたのです。
犬をなぜ飼っているのか?と聞かれたら、私は「自分のパートナーになってもらうためです。」と答えるでしょう。
仕事のパートナーであり、生活のパートナーであり、人生のパートナーなのです。
時々、「この人はなんのために犬を飼っているのだろう?」と思ってしまうような飼い方をしている人を見かけます。
私は教室でトレーニングを通して、飼い主さんに犬と暮らす意味を自分に問い続けて欲しいと思っています。
この気のいい頭の良い生き物と暮らす幸せをもっともっと実感して欲しいと思うばかりです。
この子たちは私たち人間の4倍の速さで生きています。
くずくずしてたらすぐにさよならをしなければならなくなるのです。
短い間だけれども中身の濃い生活を犬と送って欲しいと心から思います。
そのためには、正しく犬を理解し、適切に犬を飼う知識と情報と技術が必要です。
まだまだ、理解してあげられていないことがあると思います。
思い込まず、犬に問いながら天国に送るまで楽しく暮らせたらと思うばかりです。
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